意見の多様性について触れた記事を以前書いたが、なぜ意見の多様性が認められなければいけないのか、今一度強く考える話題が今、世の中をにぎわしている。
「表現の自由」というとてもとても大切な権利があるんだ。それは日本国憲法にもちゃんと載っている。わたしが今きちんと発言出来ているのも、ある意味では「表現の自由」が権利として与えられているからなんだ。それを強大な権力によって規制されるとどうなるか。これは、絶対に許されてはいけないことなんだよ。
あるテレビ局の平日22:00台に放送されているニュース番組でも、「表現の自由」について、生放送で強く語った人がいる。力を持った人から規制を求められている、と。それに負けてしまってはいけない、と。強いものが、弱いものの意見を聞かなくなった世の中は、はたしていいものか。幸せか。
「世界報道自由度ランキング」で、日本は61位だ。どのように調査して出された評価なのかわからないので一概には言えないが、わたしたちは決して「表現の自由」が十分保障された世の中には生きていない、ということだ。つまり、“強きもの”からの規制にあっているということだ。「特定秘密保護法」も忘れてはいけない。本当にいま「知る権利」「報道する権利」が守られているのか、いささか不安である。
大きな力で、小さな意見がねじ伏せられてはいけない。「お友達の意見もきちんと聞きましょうね」というのは、当たり前のことだし、必要不可欠なことなんだ。意見が違っても、その意見が気に食わなくても、意見そのものを言える場をなくしてしまってはいけない。そこは絶対に死守しなければいけないんだ。
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