9/30/2015

ババピタ

元来、「面倒くさいなあ」とか「〇〇さんはこれが得意だ」とか「これあったらいいのになあ」とか、そういったことが“仕事”として成立してきました。今ももちろんそうです。ほとんどすべての仕事は誰かのやくにたつために出来たものです。

だから、「面倒くさい」はお金になるんです。それとか「かゆいところに手が届く」といったようなのもいいかもしれません。それで助かる人はたくさんいるでしょうから。どうでしょう、人の役に立ってますか?

でもね、「人の役に立つために...」っていうのはあんまり出発点としていいところではないかもしれないなって最近思うのです。やぱり、自分が面白いと思うことをやった方がいいです。その方が自分も幸せだし、自分が幸せじゃないくせに「他人のために」なんて坊さんじゃあるまいし、言ってられません。

自分の幸せを知らない人が、他人の幸せなんて語ることはできないし、そんなの胡散臭いです。

と、まあ、覚悟があればの話しですが。

9/28/2015

ボンディア

わたしには、信じていることがあります。それは、「本気でやる」「本気でいる」ということです。それは、わかりやすい具体的なものなのかもしれませんし、目には見えずらい抽象的なものなのかもしれません。いずれにしろ、「本気でやる」「本気でいる」ということなのです。

「自分が好きなことが分からないんです」「自分が本気になれることが分からないんです」というのは、厳しい言い方をすれば、言い訳なのかもしれません。それを「本気で」探していないだけなのかもしれません。

「別になにも本気でやらなくたっていい」というのも、それはいいです。それでも生きられるわけですしね。それじゃあなんだかいやだな、と思うのであれば、やっぱり「本気でやる」じゃないとね。その分絶対にそっちの方が楽しいですよ。これは自信を持って言えます。

何も歯を食いしばってやることが「本気でやる」じゃないんです。自分が何をしたいのか、本当に本当に心の底から「本気で」したいことは何なのか、もっと突き詰めてやっていいんです。これはほとんど自分に対して言っているのですがね。特にわたしのような“若い”人間たちはね。

自分の幸せのためだけに、行動すればいいと思います。少なくともわたしはそうしようと、今日決めました。

9/27/2015

マルブワ

来年の手帳を買いました。早いのですが、かきこんでおきたいことがあったので、今回は早めに買いました。こういう風に、新たな年や新たな環境になる時、大体人は「今年は〇〇な年にしよう」とか「これからここで〇〇しよう」とか、思うわけです。

それもつかの間、春が来るころにはその半分以上の人はそんなことを思ったり言ったことさえ頭の中にはありません。きれいさっぱりなくなります。そういうものなのかもしれません。新年だとか新たな環境に変化するときに立てる、一種の行動規範のようなものは。

別にこんなものは立てなくたっていいんです。なきゃないで生きています。でもね、イベントごとなんですね。自分の心を奮い立たせる、もしくはその行動規範のような目標のようなものを考えること自体が楽しいのかもしれません。

かくいうわたしはどうかと言うと、今年は厄年だということもあり「健康に過ごせれば、よし」としました。今のところアメリカから帰国後胃腸炎になったのと、少し風邪を引いたのと、この2回だけです。不思議と気持ちも沈むことがありませんし、身体も以上ないようで。

ことしも残すところ3ヶ月とちょっとです。どうぞみなさまもご健康でお過ごしくださいませ。あと、今年立てたもの、思いだせれば思い出してラストスパート気を引き締めて頑張ってください。

9/25/2015

かぼすナッツサブレ

こう雨が多いと、外でやる仕事をしている人たちは、仕事にならなかったりします。休んでいたってしょうがないから、みんななにかやってるんでしょうけれど。わたしもその一人です。まあ、わたしの場合、休みがあればフットボールにNFL、読書など、しっちゃかめっちゃかです。

この辺(埼玉県南部)は、雨の降る日と雨の降らない日を一年間で比べれば、雨の降らない日の方が多いから、こうした働き方ができます。考え方を変えれば、雨の日の方が貴重なわけです。それで、雨の降る日の方が多い地域はあるのかしらん、と思って調べてみると、やっぱり世界にはあるものです。いや、日本にだってありました。

「トリップアドバイザー」調べのデータが出てきたので、それを除いてみると、びっくり。300日以上雨の降る地域があるではないですか。これは降水日(一日のうちに少しでも雨の降った日)を数えて出したデータだそうです。ちなみにそこは、オーストラリアにあるマッコーリー島でした。

日本からも、上越市の名前が挙がっていて、206.9日降水日があったんだとか。冬になれば雪が厳しく降る地域ですからそれも大いに関係しているでしょうね。これはアジアで最多だそうです。

他にも、年間半分以上の日が降水日である都市がありました。こういった地域では、もちろん生活習慣も違うでしょう。職業、家の作り、食べるもの、人々の考え方、言葉...その環境によって人々の暮らしは変わります。大きく見ると、やはり、人間が環境に合わせているんですよね。この先、環境が人間に合わせる(人間が環境を変える、作り出す)ようになるのでしょうか。

「みんな違って、みんないい」という言葉が、テレビでよく流れた時期がありましたね。

9/22/2015

キャウン

ロックンロールやジャズ、クラシック、ポップス、レゲエ、ヒップホップ、リズムアンドブルース、タンゴ、サンバ、ソン、カリプソ...音楽には数えきれないほどの種類があります。生命が進化してきた枝分かれの図が音楽でも描けるほど、多岐にわたっています。そういう意味では、人間は生まれたときから音楽とともにあるのかもしれません。
 
それぞれの音楽にそれぞれの特徴があって、良さがあって、リズムがあります。でもね、こういう分類ってあんまり意味のあることじゃないのかもしれませんよ。だって、それぞれ名前が付けられて分類されてはいるけれど、明確な違いみたいなものってないものね。
 
きっと、ロックンロールなんていうのはその代表格かもしれません。「〇〇ロック」ってたくさんありますもんね。その道の方には怒られてしまいそうだけれど、大体それほど変わらないものね。例えば、ゴリラと人間ほどの違いは無さそうじゃない。
 
それに、ある出来事やお話を聞いて、ある人は「ポップでいいね」と言うし、一方では「おー、ロックだねー」と言うし、違うところでは「うん、ジャズだね」と言うし、そもそもその人の感じ方なのかもしれませんね。ちょっと乱暴かな。でもそんな気がします。
 
だから、「オレはヘビメタが好きでさ」とか「わたしはブルースが好きなの」もいいんだけれど、「なんかさ、自分が好きなのってルンバって言うらしいよ」くらいなものでもいいんだと思います。

9/20/2015

関さば最中

昨日、以前こちらで書いた「対談じみたもの」を実際にやってきました。いつも通りのお喋りだったし、いつも通り楽しい時間でした。わたしにとって、きっと人間にとって人と話すことは喜びであって、それ自体に幸せがあるのかもしれません。

録音した音源を聞き直してみて、改めて面白かったのは、わたしがあまりにもお喋りであるということ。自分の思っていた以上に喋りにしゃべっていて可笑しくなってしまいました。次はもうちょっときちんとお相手の話しも引き出さないとな、なんて文字おこしをしながら反省したりもしています。

もう一つ、ICレコーダーの性能の高さにも驚かされた日になりました。ノイズも十分にカットしてくれるし、きちんと自分たちの話しがクリアに聞こえるのですから、これには驚きました。テーブルに、お皿やお箸と一緒にちょこんとおいておいただけなのに、一番正確にお仕事してくれました。

あとはやっぱり、自分の声を聞くっていうのはちょっと気持ち悪いです。普段聞いている自分の声や調子とは違うし、でも他人のようだとは感じない、自分とお話ししている人にはこういう風に聞こえているのかな、と不思議です。

出来るだけ早く、どこかのページに載せたいと思います。その時は、純度100%の内々話にぜひお付き合いくださいませ。

9/18/2015

アースミ

NFLも第二週に突入しています。今年はNFL GAME PASSというオンデマンドの有料放送を契約してみることにしました。レギュラーシーズンを¥24000だったかな、で全試合見放題です。もちろんライブで見ることもできます。お得です。

いろいろと放映権の問題だとかがあって難しいのかもしれないけれど、フットボールでもこういった放送の仕方をしてほしいです。これはひそかにわたしがあたためているアイディアなんですがね、各チームが各チームごとにチャンネルを設けて放送できるシステムを作るべきだと考えています。日本では、有料チャンネルを契約したところで毎週ベティスの試合を観ることはできませんからね。

NFLの場合、リーグが放映権を一括で管理する形をとっているため、こういった形式の配信サービスができるのかもしれません。放映権の契約料も各チームに均等に配分されるシステムです。ヨーロッパにおける各国のフットボールリーグが同じような形態をとるのは難しいことかもしれません。国内カップ戦もありますし、CL、ELもあります。

しかし、アジアや北米のフットボールファンによりよいフットボール観戦の環境を提供するには、よりコアなチーム(欧州カップ戦なかなか出場しない、各国の中堅もしくはそれ以下のチーム)をサポートしているファンに目を向けるべきです。現にそういったサービスがあれば、コアなサポーターほど喜んで契約するのではないでしょうか。自分が契約したそのお金がチームの資金として使われるとなればなおさらです。

わたしがNFL GAME PASSに加入した理由の一つもそこにあります。わたしがこのチャンネルを契約することによってNFLをサポートすることにつながるんです。眠い目をこすりながら、次の日に仕事があっても関係なく観戦する、熱心なファンはどの国にもいます。

とつとつと述べてきましたが、要するに自分自身がそういうサービスを欲している、と言うだけの話しです。

9/17/2015

謎のとり天せんべい

正直、「賛成」と「反対」、どちらだ。と聞かれても、どちらでもないことがあるのです。むしろ、そちらの方が多いように思います。二元論には必ず無理が生じる部分があるんです。反対に、答えが2つしかないから、答えやすいし考えやすくはあるのですがね。

そして、不思議と、これは二元論に限った話ではないのですが、人間というものは一度「こうだ」と思うと、それに加勢したり有利になるような情報ばかり集めるようになるし、それが行き過ぎると、これこそが正義であり絶対である、というような一元論になるのですね。

「白米と味噌汁の組み合わせが一番だ。これより優れた組み合わせはない」と言って他のものを排除していると、おいしいものを逃します。「そばに日本酒もうまいぞ」「チャーハンに餃子は最高だよ」「ハンバーガーにコーラもイケるよ」というのがあっていいですよね。白米にお新香もいいですし、白米に納豆もいいいじゃありませんか。

そういうところに気が付けて、楽しそうにできる人っていうのが救いだったりするかもしれません。「あなたの味覚はおかしいですよ、白米には味噌汁が一番合うんです。」「何バカみたいなこと言ってんだよ、白米にはお新香だろ。」とかやっている横で、ポリポリお新香をかじりながら白米をかきこみ味噌汁をズズーッとすすって満足げに「うまいねこりゃ」とか言っている人でありたいです。「納豆もたのんじゃおうかしらん」なんていったりね。

自分の「おいしい」に文句を言われる筋合いはないし、他人の「おいしい」に文句をつける道理もないよね。

9/16/2015

コキス

昨日の“夢”とは違う、眠っているときに見る“夢”のお話です。誰もが一度は経験したことがあると思うんだけれど、普段全然気にしていないと言うか、例えば学校であればクラスメイトの一人、というくらいの距離感の人が、どうしたことか急に夢に出てきて、それも自分といい関係だったりすることが、ごくたまにありますね。あれはいったいなんでしょう。

その次の日から、人知れずちょっと気になっちゃったりなんかして、春の日差しを浴びたように心が軽やかになるものです。でも、どうしてその人が急に夢に出てきて、そのうえ自分と一緒になったりしているのでしょうか。お相手がテレビでしか見たことのない、それはそれは美しい女優さんだったりすることもあります。1週間はいい気分で過ごせますよね。

不思議なもので、自分が体験したことのないことも、夢では体験していたりします。崖から落ちたり、スパイになったり、死んだり…かなりスペクタクルな体験を夢で経験済みです。「死ぬ」なんて経験を完全に教えてもらったことなどないのに(死ねばしゃべれないですから当たり前ですが)、かなりクリアに体験します。この脳みその再現力と言うのが正解なのでしょうか、はものすごいクオリティーを有しているようです。

もっと不思議なのは、所謂“デジャヴ”です。日本語では既視感と言うそうです(ちなみに対義語は“ジャメヴ”。日本語では未視感)。あれは間違いなく夢の中に一度出てきた風景であったりシチュエーションですよね。一種の予知夢なんでしょうか。いずれにせよ、ミステリアスです。

これがどうなっているのかとか、どういうメカニズムなのかを考えるのも人間の脳ですし、これらを生み出しているのも同じ、人間の脳なのですから、いやはや恐れ入ります。自分も持っているわけですが、ね。

これでも、人間は脳の10%しか使っていないそうですよ。ダーウィン先生、まだまだ伸びしろはありそうですよ。

9/15/2015

ざびえる

久々にディズニー映画「美女と野獣」を観ました。ディズニーの映画はどれもハッピーエンドなので、安心してみることができます。ベル(“美女”です)はちょっと変わり者の女性ですが、読書と父親を愛する美しい娘。真っ直ぐで純粋な人間です。王子(“野獣”です)は人を見かけで判断したがために野獣に変えられてしまった青年。自分の姿を憎み、たてがみを無くしたライオンのように絶望しています。

純粋無垢でけなげな女の子と、心に傷を抱えた青年が最後はドラマチックに結ばれるわけですが、それでもう十分「よかったよかった」となれるから、いいんでしょうね。もっと細かく詮索すればいろいろ深い意味合いなんかは出てくると思いますが、「よかったよかった」で終わってくれる物語があることは、私たちを安心させてくれます。

よく、「ディズニーは夢を与えている」という言い方をされることが多いですが、確かにそういった側面は大いにありますよね。自分自身が王子や姫じゃない限り、王子や姫と結ばれるなんて“夢”みたいなことですものね。この「美女と野獣」をはじめ「アラジン」「シンデレラ」「ヘラクレス」「プリンセスと魔法のキス」「塔の上のラプンツェル」は、どちらかが王子もしくは姫ではなく、王子もしくは姫と最後は結ばれるというストーリーです。まさに夢物語ですね。

“夢”というのはこれくらい途方もないことなんだと、わたしは思っています。動物と会話が出来る人間になる、とか、空を飛べるようになる、とか、タイムスリップする、とか、ね。

例えば、1億円稼ぐっていうのは、“目標”だよね。

9/14/2015

カジュロール

「昔はやんちゃしてたなぁ」「若いときはワルいこともしたよ」なんて懐かしそうに言う歳をとった人が、たまにいます。なんだかかっこいいことをしていたんだよ、という雰囲気で、なかには誇らしげに語る人もいます。

不良と言う言葉はもうあまり聞かなくなった気がしますが、そういう人もいます。昔は不良やってて今は更生してきちんと仕事をしています。そういった類の本やテレビ番組なんかはたくさんあり、割とその本人が称賛されたり、ちやほやされたりします。

わたしは小さいころから本当にそれってエライことなのかなあ、と疑問に思っていました。だったら最初からきちんとしている人がもっと評価されるべきでしょう。更生してきちんと仕事をしています、なんて、当たり前のことですよね。ちっとも胸張って人様に言いふらすような事じゃないような気がします。

第一、当人が所謂“不良”やってた頃に傷つけられた人たちは、ないがしろにされていいのでしょうか。そちらの人々に手を差し伸べてあげる方が先でしょう。

普段から悪いことばかりやってる人は、ちょっといいことをしただけで周りの人は「なんだ、あいつもいいやつじゃないか」なんて評価を簡単にしてしまいます。これは昔からの疑問です。つまり、「男は一つや二つ、悪いことした経験がなきゃダメだ」とか「若いときはやんちゃしてるくらいの方がいい」なんていうのは嘘だということです。全然かっこいいことでも何でもありません。

そういう話はね、聞いているくらいがちょうどいいんです。

9/13/2015

ハトシロール

食欲の秋とはよく言ったもので、おいしいものがたくさん巷に出回るようになります。わたし個人としては、バーベキューは秋にやるのが一番いいのではないかなあ、などと考えています。魚も野菜も盛りだくさん食べられます。

年をとると、一般的に苦いものをおいしいと感じるようになるようですが、自然界では(野生的には、とでも言いましょうか)苦味というのは毒であると認識されるようで、より自然に近い子どもの頃にはきちんと“まずい”“食べられない”ものとしてあまり好まれないのかもしれません。

しかし、考え方によっては大人になるにつれその苦味を持った野菜や魚の肝なんかが栄養があったり、身体によかったりすることを知ります。食べていると、実際に身体の調子が良かったりします。そうすると、脳みそなのか身体そのものなのか、が「これは大丈夫だよ」「栄養あるよ」と認識するように変化して、おいしいと感じるようになるのかもしれません。

確かにあくの強い野菜は実際に身体によくなく、妊婦さんなんかはあまり食べない方がよいとされていたりします。しかし、山菜などのあくの強い野菜もきちんとあく抜きをして天ぷらや山菜そばなんかにして食べると、もうたまりませんよね。

10月になればより秋が深まり、栗や柿、魚ではイワシやカツオ、サンマなんかが旬を迎えます。実りの秋、今年も楽しめますように。

こういう楽しみも、大人の楽しさですよね。

9/12/2015

パティサ

昨日は9・11でした。14年前の衝撃的な光景は忘れられません。いろいろな説があって、本当のところはどうなのか公開されていませんが、たくさんの人が亡くなったことは事実です。SNSのいたるところに「Never Forget 9・11」の文字が並びました。

そして今日の朝、大きな地震が首都圏を襲いました。この国の構造物や人の対地震的身体はとても高度に出来ていますから、震度5弱の地震ではテレビに映るようなわかりやすい大きな損害はありませんでした。図らずして3・11が思い出されました。

両方とも、どうして「Never Forget」とか「忘れない」とか言われるのかといえば、「大勢の罪のない人々の命が突然奪われたから」ではないでしょうか。わたし自身も、大変なショックを受けました。生きることだとか死ぬことだとか、考えました。

ここできちんと心にとめておかなければいけないな、と思うことは「人ひとりが死んだ」ということだと思うのです。「人ひとりが大勢死んだ」ということです。それぞれに四季を経てきた一人の人間が死んだ、ということをきちんと心にとめておかなければいけません。

この世界には“人ひとり”が大勢います。それを「Never Forget」でありたいし「忘れない」ようにしたいです。

9/11/2015

九十九島せんべい

いくら疲れていても、まず家に帰ってきたら、洗濯して、シャワーを浴びて、乾いた洋服はたたんで、ご飯を作って食べて、食器を洗って、明日の準備をして…なんていうやることを毎日きちんとやるということが一番面倒だったりします。

たぶんそこに面白さとか興味の湧く魅力みたいな何かが欠けているからでしょうね。洗濯は洗濯機がしてくれるものだけれど、乾燥機がなければ干さなきゃいけません。それで乾いたらたたまないといけませんしね。同じことの繰り返しです。

シャワーとか湯船につかるのは、楽しみだったりします。わたしは湯船につかりながら本を読むのが、一日の終わりの至福の時間です。でも、湯船だって掃除しなきゃいけません。風呂場の鏡だってほっといたら水垢で曇ってしまいます。

ご飯を作るのも、一人では嫌になってしまいます。調理にはある程度時間がかかるし、使った器具も食器も洗わなきゃいけません。そうして、明日の準備まで済ませたら、いい時間で眠くなってしまいます。

どうすれば上手にこれらをこなすことができるのでしょうか。大変なことではありません。面倒になりがちなだけですよね。“義務感”だけでできるようになって、ようやく一人前の大人なのでしょうか。上手にきちんと毎日できるようにならないかなあ、考え中です。

9/10/2015

カラカン

わたしが毎週楽しみにしている数少ないテレビ番組の一つ、ここでも一度ご紹介させていただきました、「ヨルタモリ」が20日にとりあえず閉店に向かうそうです。わたしとしては、とても残念です。すごく面白い番組ですから。

この番組内で、タモリさん扮するジャズ喫茶のマスター“吉原さん”が、とても面白いことをおっしゃっていました。その一部をここでご紹介したいと思います。

向上心がある人は、今日が明日のためにある人。向上心がない人は、今日が今日のためにある人。向上心イコール邪念ってことだよね」「夢があるようじゃ人間終わりだね」「(夢に向かって頑張る人にとって)夢が達成されるまでの期間は、まったく意味のないつまらない世界になる。それが向上心のある人の、悲劇的な生き方なの」実際に“夢”をかなえた人は、ただ好きなことを楽しく続けていただけだとして、「それがジャズかジャズでないかの差」

と、こんなことをおっしゃっていました。一見毒のあるような文ですが、タモリさんらしいユーモアと知恵が詰まっているように感じます。わたしは、タモリさんは「面白がる」ことの天才だと思っています。ここにもそれが感じられます。

20日放送分まで、きちんと観たい番組です。

9/09/2015

よりより

久々に革靴を磨きました。仕事柄わたしは普段から革靴を履くことはないので、いよいよ秋がもうすぐそこまで来た今、そろそろ出番かな、といつでもはけるようにお手入れをしておきました。明日のような雨の日は、きちんと手入れしておけば革靴は強い味方となってくれます。

小学校の時からフットボールを始め、6年生になったとき初めて革のスパイクを買ってもらいました。大事に大事にはいて、小学生なりに一生懸命靴磨きをしたものです。その時から革靴には慣れ親しんでいるわけですから、約四半世紀しか生きていないにもかかわらず、随分長いものです。

革靴は(特にフットボールのブーツの場合は顕著ですが)きちんと手入れして履くたびに、自分の足になじんでいきます。その感覚が大好きですし、それを知っているからなのか、磨く作業そのものがちょっぴり特別な時間だったりします。

好きな音楽をかけながら、靴の汚れを落とし、クリームをまんべんなく塗りこんで、ブラッシングする。そのあいだにいろいろなことを考えたりしますし、その靴で行った場所や歩いた道を思い返したり、これから行くところを想像したりします。

靴はその人をもっとも象徴するファッションアイテムだとわたしは思っています。きれいに磨かれた革靴を履いている人、真っ白なスニーカーを履いている人、曲線の美しいピンヒールを履いている人、いつでも走り出せそうなランニングシューズを履いている人…それぞれにその人の生活がでます。いつも必ず履くものですし、最も自分の身体と生活に合っていることが求められるものでもあるからです。

新しい靴を買えば、外へ出かけたくなるし、素敵な靴を履いていれば、足どりは軽やかになるものです。

9/07/2015

バルフィ

今、やってみたら面白いかもしれないと思っていることの、予告みたいなことを少しだけ書きたいと思います。

わたしは、「対談」という企画が大好きです。読み物でも、対談ものは好んで読みますし、テレビなんかでも対談とかってものが好きだったりします。それは、きっと人と人が面と向かって話すことで生まれる、何か暖かさだとか、人と話すからこそ出てくる発言を聞いたり読んだりするのが好きだからだと思います。

わたし自身も、よく友人や良くしていただいている片なんかとご飯に行ったりするのですが、やっぱりご飯を食べに行く、と言うよりも、その人と話したい、というのがメインになってくるわけです。新たな発見がありますし、話すことで自分自身を整理すこともできます。

それでです、有名人どうしの対談とかはよくありますが、一般人同士の対談はありません。もちろんそれは面白くないからです。誰も見たいなど思わないからなのですが、あえてこれをやってみようかなあ、などと思っています。

今の思っていることだとか、周りの人が思っていることだとかっていうのを、残しておきたいという方がしっくりくるでしょうか。まだまだ道半ばの24歳の青年が思うことを、その時に思っていたことを残しておこう、という感じです。恐ろしく恥ずかしいことではあるのですが、せっかくだからその一部をここで公開してしまおう、と思っています。

もちろん、仰々しい「えー、本日はどうも御足元の悪い中…」なんていう対談はやりません。対談なんてかっこいいものじゃなくって、お喋りに毛が生えたみたいなもんですね。今の等身大を記録しておきたい、と考えています。

忘れたころに見返してみて、「バカなこと言ってるねえ」とか「お、案外面白いこと考えてるじゃん」とか、思えたらいいです。

9/05/2015

一口香

最近なんだか「映画」というキーワードをよく目にするので、映画を見るのにいい状態なのかなと思い立ち、今週末は久しぶりに映画三昧となりそうです。6本借りましたから。

従来わたしは映画が大好きで、まだおこずかいも少ししかもらえなかった中学生の頃から、よく近くの映画館に観に行っていました。わたしにとって映画とは映画館で見るものでした。それも田舎ですから、平日の午前中に行ってみたりすると貸切で観られたりするのです。随分と贅沢をしていました。

最近はもっぱら映画館に足を運ぶことも少なくなり、自宅でDVDを借りてきて観る形が多くなっています。安く済むのに映画はそのままみられるのですから、本当にありがたいシステムです。いまや1本100円ほどで1週間レンタルできたりするのですからね。

でも、やっぱり映画館で見る良さもあります。わたしは、それこそ映画館に行きだしたころ、映画が好きと言うよりも、映画館が好きでした。心地よい椅子に腰かけ、真っ暗な中大画面に映し出される映像を見るのは、それだけでもなにか特別で贅沢な時間を過ごしているように感じたものです。

映画館も進化しているようで、4DXやMX4Dなんていう遊園地のアトラクションのような体験ができるタイプの上映方法も登場しているようです。遊園地にはこういった類のアトラクションがかなり前からあったのですから、やっとかと言えばやっとかという感じもします。

2時間くらい、ずっと映像と連動して座席が動いたりするのでしょうかね。そうであれば、なかなかタフな体験になりそうです。面白そうですよね。

色々な映画の観かたを選択できる環境に感謝です。

9/04/2015

ジャレビ

また、ちょくちょく出てくるフットボールの話題です。コーナーキックというシーンが試合の中ではあります。大体の人が、応援しているチームが攻めているときにコーナーキックをとれば、「よし、チャンスだ」と思うでしょう。反対に、自陣でコーナーキックを相手に与えると、「ここはしっかり守らないと」とピンチに感じるでしょう。

サッカーデータ革命』というとても興味深い本によると、コーナーキックがシュートにつながる可能性はわずかに20.5%だったそうだ。つまり、コーナーキックを5本蹴って、やっと1本シュートが生まれるということです。

さらに、コーナーキックから生じたシュートが成功するのは9本のうち1本。実にコーナーから生まれた89%のシュートが無駄になる計算だそうです。そして、コーナーから生じるシュートと、そこから生まれる得点の可能性を数値化すると、平均してコーナーから点が入る可能性は約2.2%しかないそうです。単純に言えば、プレミアリーグ(イングランドのフットボールリーグの通称)のチームが、コーナーから得点するのは、平均して10試合に1度しかない、ということになります。

何をハラハラ見ていたのだろう、と思ってしまうようなデータの結果です。つまり、コーナーキックは大してチャンスではないし、特別ピンチでもない、んですね。こういった数字を見ると、明らかに今後の見方が変わってきますよね。

同書でも書かれているのですが、「常識」を疑ってみるということは重要です。コーナーキック一つとってもこのありさまなのですから。昔からこうなんだ、というのが間違っていることはまだまだたくさんあります。つまり新しい発見もまだまだあるということです。

その貯めのツールとして“数字”は大いに役に立つでしょう。数字が全てではないけれど、数字が教えてくれることもあります。

9/03/2015

茂木びわゼリー

今日もいつものようにわたしのスマートフォンには、ヤフーニュースの通知が届いています。株価が下がっただとか、どこどこで殺人事件の容疑者が逮捕されただとか、何々線が一時運転中止しているだとか。

これって、知らなければ知らないまま生活していける情報ばかりです。少なくともわたしはそうです。知らなければ、それはわたしのなかでは起こらなかったことと同じです。すごく第三者的なんですよね。実際に第三者であることに間違いはないのですが。

こういった情報が今の世の中にはあふれています。反対に、以前知ることができなかったことが知れるようになったのです。だからこそ、情報の取捨選択は自分できちんとしなければなりません。時には目を閉じなければいけないでしょうし、時には耳を塞がなければならないでしょう。

世界で今何が起こっているのか、知っておくことは重要です。今自分が生きている時代に起こっていることですから、とても第三者ではいられないんです。とはいうものの、絶え間なく流れてくるニュースの多くは、やっぱり第三者的視点で観てしまうものです。だって第三者だから。

今現在、そこはもうしょうがないんじゃないかな、って気がしています。いくら想像力を働かせたって、いくらその当事者のことを思ったって、やれることって少ないんだと思うからです。それよりも、今自分ができることを一生懸命楽しんだ方がいいです。

内側もきちんと見てあげないとね。

9/02/2015

ケナーファ

最近「今日のおやつ」を更新し忘れることが多いです。気を引き締めなおしてきちんと書いていきます。それと、何か新しいことをここでできたらいいな、とも秘かに考えております。

なにか新しいことにチャレンジするにも、どうにか自分の足で歩きたいし、自分の手でつかみたいとわたしは思っています。自分で切り開いて上がっていきたいと思っています。

わたしにはタイムカードを押して「今日も一日よろしくお願いします」でやっていく才能は、どうやらなさそうです。すごく欲張りだから、「幸せになりたい!」と思ってしまいます。それに、「仕事」というものは、それ自体がチャレンジで楽しくて面白くてやりがいを感じるものじゃないと、続けられそうもないようです。

一発やってやりたいと思っています。いい家にも住みたいし、世界中に別荘建てたいし、行きたいところには全部行きたいと思っています。そしてそれをやってやろうと思っているんです。自分の身体でそこまで上がってやろうと思っています。

わたし自身がバカだし教養もないから、こういうことを言っているんです。でも、バカで教養もないなりに必死になってこういうことを言っているんです。よくわからない、どこに向けているのかも知れない、たぶん自分自身に向けているんだろうな「ちくしょう!」って気持ちもあります。いままでも「悔しいよ!」は経験しました。まだまだこれからあると思うけど。

このホームページも、チャレンジではあるんです。これからどうなっていくのか。楽しみでもあります。知らない間に消えてなくなっているかもしれません。でもね、「面白いことをやってみたい」って気持ちあるんです。ここも、もっと面白くしていきたい、と思っています。

再び熱を帯びた日に。