「卵とまちがえて懐中時計をゆでた」「ズボンをはき忘れたまま出勤」「馬がつながれていない手綱をひいて歩いていた」「夕食をたべわすれることはしょっちゅう」。万有引力を発見したことで有名なアイザック・ニュートンは、こんな逸話が残るくらい考えにふけりボーっとするクセがあったそうです。
はたから見ればボーっとしているように見えたのでしょうが、そのあいだ中ニュートンの脳みそはフル回転していたのでしょう。彼のかずかずの偉大なはっけんをみれば明らかです。物理学においても例にもれず重要なはっけんをしました。「ニュートン力学」がそれです。
ニュートンは3つの法則をはっけんしました。1つ目は慣性の法則。例えば車で急ブレーキを踏むと身体が前につんのめる、あれです。2つ目は運動の法則。力と勢いは比例しますよ、勢いと重さ(質量)は反比例しますよ、というもの。3つ目は作用・反作用の法則。名前のとおり、押す力には必ず同じだけの押し返す力がはたらきます、というものです。こうしてニュートンは「もの」の運動をみごとに説明しました。この力学、なんだか人の心の動きにもあてはまりそうじゃありませんか。
わたしは、この3つ目の「作用・反作用の法則」はかくじつに人の心の動きとしてあるなとおもいます。力学上の力は、実は必ず対なのです。そしてその大きさはひとしく、向きは反対で、同じレベルです。多くのファンのいる有名人を見れば、同じくらいアンチの人がいます。何か新しいことをしようとすれば、必ず反対したりあざける人がいます。やろうとすることやその人自身がおおきければおおきいほど、反対の力もおおきくなるのです。
「にくまれっ子世にはばかる」もみんなのにくむ力が作用となって、その子が反作用的にはばかるんです。じゃあ「にくたらしい子」はどうすればいいのか。無関心でいいんじゃないかな。あそこにそういう子がいるね、でいいんだと思います。その子に「力」をかけなければいい。作用がないから反作用もありません。慣性の法則にしたがえば、外からの力がかからなければ、「もの」はそのままであり続けるのです。止まったボールは押したり蹴ったりしなければ、止まったままでしょう。
なんにでも反作用があるのなら、わたしは「にくたらしい子」でなくて「すきな子」に力をかけていたいです。ニュートンだって、「ボーっと」のあいだ中ずっと「すきな子」に力をかけていたのですから。