2/05/2016

ケイジャータ

「卵とまちがえて懐中時計をゆでた」「ズボンをはき忘れたまま出勤」「馬がつながれていない手綱をひいて歩いていた」「夕食をたべわすれることはしょっちゅう」。万有引力を発見したことで有名なアイザック・ニュートンは、こんな逸話が残るくらい考えにふけりボーっとするクセがあったそうです。

はたから見ればボーっとしているように見えたのでしょうが、そのあいだ中ニュートンの脳みそはフル回転していたのでしょう。彼のかずかずの偉大なはっけんをみれば明らかです。物理学においても例にもれず重要なはっけんをしました。「ニュートン力学」がそれです。

ニュートンは3つの法則をはっけんしました。1つ目は慣性の法則。例えば車で急ブレーキを踏むと身体が前につんのめる、あれです。2つ目は運動の法則。力と勢いは比例しますよ、勢いと重さ(質量)は反比例しますよ、というもの。3つ目は作用・反作用の法則。名前のとおり、押す力には必ず同じだけの押し返す力がはたらきます、というものです。こうしてニュートンは「もの」の運動をみごとに説明しました。この力学、なんだか人の心の動きにもあてはまりそうじゃありませんか。

わたしは、この3つ目の「作用・反作用の法則」はかくじつに人の心の動きとしてあるなとおもいます。力学上の力は、実は必ず対なのです。そしてその大きさはひとしく、向きは反対で、同じレベルです。多くのファンのいる有名人を見れば、同じくらいアンチの人がいます。何か新しいことをしようとすれば、必ず反対したりあざける人がいます。やろうとすることやその人自身がおおきければおおきいほど、反対の力もおおきくなるのです。

「にくまれっ子世にはばかる」もみんなのにくむ力が作用となって、その子が反作用的にはばかるんです。じゃあ「にくたらしい子」はどうすればいいのか。無関心でいいんじゃないかな。あそこにそういう子がいるね、でいいんだと思います。その子に「力」をかけなければいい。作用がないから反作用もありません。慣性の法則にしたがえば、外からの力がかからなければ、「もの」はそのままであり続けるのです。止まったボールは押したり蹴ったりしなければ、止まったままでしょう。

なんにでも反作用があるのなら、わたしは「にくたらしい子」でなくて「すきな子」に力をかけていたいです。ニュートンだって、「ボーっと」のあいだ中ずっと「すきな子」に力をかけていたのですから。

2/04/2016

美冬

「福は内 鬼も内」  梅原猛
2月3日の朝日新聞、「折々のことば」から。「創造者というものは一種の鬼を自分のなかにもっていなかったならばすぐれた仕事はできない」と哲学者の梅原さんは言う。

2月3日は節分です。邪気を払い幸福を招き入れる行事ですが、そもそも節分とは、季節を適確につかむための暦日である雑節の一つで、各季節の始まりの日、つまりは立春、立秋といった四立(しりゅう)の前日のこと。「季節を分ける」ことも意味する節分、現在では主に立春の前日の節分を示しますが、四季にそって年に四度あります。

「鬼は外、福は内」のかけ声とともに豆をまき、玄関にはヒイラギとイワシの頭を飾り付けます。最近では、大阪で行われていた「恵方巻」を食べる習慣も全国的に板についてきたようで、コンビニやスーパーマーケットには当たり前のように並びます。豆まきや飾りつけ、恵方巻がすんだあと、数え歳の数だけ豆を食べるときに歳を重ねたことを実感したりもします。

福をまねき鬼をはらう。やっかいなのは、自分がかってに決めつけた「鬼」です。言うなれば、自分自身がつくり出した「鬼」。それはほんとうに「鬼」なのか、はらわずいっそ抱き込めるくらい懐のふかい人が、もっとも強く、もっとも信頼できるです。ほんとうは、「福」も「鬼」もないんじゃないかな。世界一の超大国は、どうするのでしょうか。

2/02/2016

フィオス・デ・オヴォシュ

毎年この時期にきまって大いそがしの人物が、平安時代の貴族であり、現在は東京の湯島天神、京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮などに、学問の神様として祭られている菅原道真公そのひと。受験シーズン真っただ中、道真公のご利益にあずかろうとおおぜいの人が全国から合格祈願におとずれます。みな最後の最後は神だのみ、こどもや孫のためと参拝する人もいるのですから、道真公はさぞ骨の折れることでしょう。

「神だのみ」の代表格といえば、縁結び。こちらのほうはもう一年中盛んです。昨今の神社仏閣は、猫もしゃくしも縁結び。御朱印にお守り、おみくじなんかは当たり前、名物スイーツや独自の絵馬を売り出しす商魂のたくましさ。縁を結ぶ当の神様もほとほとあきれ顔かもしれません。

こちらはさすがに「神だのみ」とはいきません。受験シーズンの到来とともにやってくるのがインフルエンザやノロウイルスの流行期。昨年のエボラ出血熱やさいきんWHOから緊急事態宣言が出されたジカ熱など、世界的に見ても様々なウイルスが猛威をふるっています。

聞きなれてしまっているせいか、それほど恐怖を感じなくなっているインフルエンザウイルスですが、毎年約1万人が直接的または間接的にインフルエンザの流行で死亡しているというから用心しなくてはなりません。大切なのは受験と同じ、準備(予防)です。基本的な手洗いうがいでカゼの予防はできます。

「神だのみ」のその前に、きちんと両手を清めましょう。

2/01/2016

白い恋人

「最近の若者は...」「最近のこどもは...」歳をとるとこのフレーズが言いたくなるのでしょうか、おじさんおばさんの紋切り型文句、どこにいてもこのフレーズは聞こえてきます。「草食系男子」や「ニート」「シングル男女の増加」などが多くのワイドショーで取り上げられる現在、以前にもまして「最近の...」が勢いを増しているように思えます。

これも「最近のこどもは...」で片づけていいのか。「こどもの学力低下」が叫ばれて久しいですが、この問題、わたしは「最近の大人は...」と言いたい。なぜならば、こどもというのは大人のマネをして学んでいくものだから。マネをする対象である大人の意識や責任の欠落が「学力低下」につながっているのです。

こどものいるおやごさんなら実感として持っていると思いますが、こどもは大人のことをほんとうによく見ています。数時間いっしょに遊んだだけで、わたしのくちグセをまねしだしたり、テレビで見たダンスをまねしておどり始めたり、乾いたスポンジのように吸収していきます。同じ霊長類のチンパンジーやゴリラ、ニホンザルのこどもたちも、親や群れの大人たちがたべるものをマネして食べ、大人のすがたを見て群れの中での秩序をおぼえ、成長します。

こどもの教育、成長にとって大人の存在、「目」が大切な役割を果たしていることは明らかです。今世界で教育先進国として注目を集めているオランダや北欧の国々では、広くワークシェアリングが浸透していて、両親が家庭で子供と過ごす時間を多く持つことができます。しかも、多くの家庭が共働きでありながらです。

「最近のこどもは...」で片づけるのはかんたんです。しかし「最近のこども」を育てたのは誰なのか、「最近の大人」は自覚しなければなりません。