8/06/2015

くずざくら

自己中心的でないことなどあり得るか、どうなのでしょうか。生まれてこの方、みな生まれたときの身体(正確に言えば一日一日身体は変化しているから違うものになっているけれど)しか持ったことがないし生まれたときの脳みそしか持ったことがない。

つまり“自分”がいない世界は“自分”にはあり得ないんです。今見ている世界は自分を通して見ているものだし、ある意味では自分が作り出した世界でもあると思うのです。そして、その自己から逃れることはどうしたってできない。自分の頭で考えている以上、主観になってしまうんじゃないかと思うのです。客観で考えるということは本当に可能なことなのでしょうか。

しかし、ここが悩ましいところで人間は他人の評価によって生きる動物です。“他人”がいます。そして他人にいかされています。絶対評価をできるのならばいいのですが、人間は必ず相対評価をします。他と比べるし比べられるのです。否が応でもそうやって各々が評価し評価されています。言い換えれば、生かし生かされています。

難しいのが、生まれてこの方“自分”を通してしか物を見たことがないのに、“他人”に評価されなければいけない、と言うところです。自分で自分のことを評価できればいいのですが、いくら自分で自分のことを評価したって他人に評価されなければ生きてゆけません。それじゃあ“他人”に評価されるように“他人”の気持ちになって考えてみよう、とやってみても本当に“他人”の気持ちになることはできません。考えているのが“他人”の頭ではなく“自分”の頭ですから。せいぜい想像し寄り添う、くらいまでじゃないでしょうか。

だから、他人のことを考えているといっても考えているのは“自分”ですから自己中心的になるし、世界のことを考えているといっても自己中心的にどうしたってなると思います。自分がいない世界など自分にはあり得ないんですから。“自分”と“他人”の間で苦労しながら、それを理解したうえで、寄り添ったり、理解しようとしたり、そういう姿勢を持っておきたいです。

釈迦という人が開いた「悟り」ってやつは、この“自分”と“他人”の垣根を超えちゃったってことだったのかな。

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