人間には“理性”が備わっています。人間を人間足らしめるものが“理性”であるとも言えるかもしれません。「やっていいことと悪いことがある、それを判断できるのは理性があるからだ。」というようなことです。でも人間が本当に理性的な生物なのか、疑問に思わざるを得ません。
誕生してからこのかた、人間どうしの殺し合いは絶えませんし、ほかの生物が周りの環境とバランスをうまくとって生きている中、人間は関係なしに個体数を増やす一方です。もうちょっと庶民的な目線で見ても、泥棒はあるし、人は殺すし、強姦があれば自殺もある。
権力に目がなかったり、権力に目がない人を年中批判したり、腹いっぱいになるまで食ったり飲んだり、嘘をついて出し抜いたり、出し抜かれたっていって仕返ししたり...どこが理性的な生物なのか、さっぱりわからなくなってしまいます。変な話、ほかの生物に「人間のどこが理性的なんだ」と聞かれたら、残念ながら返す言葉がありません。
と、いう風に考えていたんですが、私の「理性」のとらえ方がそもそも根本的に間違っていたかもしれません。どういうことかというと、私たち人間の見方では人間に“のみ”「理性」が備わっている、ということです。つまりほかの生物との違いは“理性”のあるなしであるということであるとも言えます。ちょっと強引かな。
だから、ほかの生物がやらなくて人間だけがやることが「理性的」なんだといえるんじゃないかと思ったんです。上で挙げたような類のことは「理性的」だといえるかもしれません。
「人殺しは野蛮だ」とか「自然破壊は野蛮だ」とかっていう言い方には、内在的に「人間=理性、人間以外の者=野性(野生)」+「野性(野生)=下品なもの、卑しいもの」っていう意識が隠れてあるように思えます。「野」っていうのは蔑まれて部分があるんですね。おかしいかな、逆説的ですが「野蛮な行為」はほとんど人間しかやらないのですが。
こう考えると、「森を壊すな!野蛮な行為はやめろ!」っていう文句は面白いですね。「東洋人差別はやめろ!イエローモンキーにも人権を!」なんて言ってるみたい。
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