「反〇〇」には、あまりかかわらないようにしています。そういった目であたりを見回してみると、悲しいかな「反〇〇」にあふれています。これにはいろんな理由があると思うけれど、一番は、そうすることが一番“簡単”だからなんじゃないかな。
本を読むときに、特に評論に関しては、“批判的読み方”をすることで自己の思考力が鍛えられる、ということがよく言われています。“批判的読み方”や“批判的思考”は持ち合わせておくべきものだと思いますし、積極的に学校で教えるべき思考法であると思います。
この“批判的思考”というのと、「反〇〇」は違います。これを同じものとしてとらえてはいけません。批判というのは、評価をすることです。対象物の存在を論じるのです。全くマイナスな意味の言葉ではありません。しかし「反〇〇」というのは、対象物を“悪”にしてしまうのです。もはやその存在すら認めないようなところもあります。そして、自分を正当化するのにもとてもいいのです。
「反〇〇」の嫌なところは他にもあるのです。一緒じゃないかと思う人もいるかもしれませんが、ここが本質だとわたしは思っています。結局感情は「負」なのです。だからわたしは「戦争反対!」も口にしたくないし、そういう集会にも参加したくありません。だって、「俺は保育制度に反対するんだ!絶対に認めないんだ!」と言っている人と「子どもたちがこの国で生まれてよかったな、って思えるような国にみんなでしていきたいね」という人と、どちらが素敵かなあ。そして、この主張は両方とも一緒のことかなあ。
まだ出会っていくらも経っていない人に聞く「好きな〇〇は?」も、本当はみんなその方向で行きたいんだってことの表れじゃないかな。
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