今日からお盆休みをいただいています。お盆はゆっくりとしているつもりです。プレミアリーグが開幕し、すでに寝不足ですからね。夜の若者はハロウィーンの時はあれほど大騒ぎするくせに、ジャパニーズハロウィーンのお盆では盆踊りすらまともに踊らないようですね。おかしなものです。もちろん冗談です。
最近続々と友人の転勤が決まっていて、すこしずつ巣立ちだとか自立の時期に入ってきている気がしています。結婚をする友人も増えてきています。それと同時に死んでいく人も増えていきます。葬式も結婚式もこうやって増えていくんだなあ、と実感する時期のようです。
何度かここでも書いているかもしれませんが、人は死にます。これは絶対的なことで、人生の中で唯一の決定事項です。今もなお、生きている人たちは死に向かって生きているわけです。でもね、“死”というのは2人称でしかありえないんです。
養老孟司先生が自身の著書『死の壁』の中でおっしゃっている事なのですが、まず1人称の“死”はあり得ない。自分の死体は見ることができませんからね。2人称の“死”こそ死なのです。親や兄弟、親戚、友人がそれです。3人称の“死”は確かに死ですが、死体が見えないし関心がいかない。言ってしまえば3人称の死で自分の毎日が変化することはほぼないんです。だからこれも存在しない(と言っていい)。
死について考えるということは、ひるがえって生について考えることです。お盆は一年に一度、死について考えるいい機会かもしれません。怖いもの、けがれたもの、などという見方はよして真摯に“死”について考えておくと、2人称の死も以前より受け入れやすくなるはずです。
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