8/04/2015

田舎まんじゅう

わたしは常々、「学び」というものは道端に生える雑草からでも学べるものだ、と言う風に考えています。そう自分に言い聞かせています。つまり姿勢の問題なのです。どこからでも知識を吸収してやろう、自分の身になることを見つけよう、と日々考えて行動していれば道端に生える雑草からでも「学び」は得られるのです。

昔、師匠と弟子という関係は何かを学んだり習得するうえで当たり前のように結ばれた関係でした。これが最良だとされていました。師匠は弟子に教えません。自分が“それ”をやっている姿を見せるだけです。見せすらしない場合もあったかもしれません。掃除や洗濯など雑用ばかりやらされるわけです。

そこで弟子は考えるわけです。「もしかしたら師匠は今、“それ”をするにあたって大切な何かをわたしにお教えくださっているのかもしれない。」こんな具合にです。そうするとひとりでに弟子は自ら考えて“それ”と今現在自分がやっていることとの関連性なんかを探っていくわけです。そうやって自分自身を高めていくやり方でした。

この場合、弟子が優れていれば師匠はそれほどでなくてもいい、と言うようなこともあります。何が重要かと言えば、自分から学ぼうとして知識を得ることが重要で、さらに言えば自ら行動して知識を得ようとすることが重要である、と言うことです。

自分自身で何もかもが変化してきます。世界にあるものは、もともとフラットですから。

0 件のコメント:

コメントを投稿