スポーツを観に行った時のスタジアム、行楽地、電車や大きな交差点、周りに“他人”がたくさんいる時いるときに、ふと思うことがあるんです。ああ、本当にこの人たちは別々の人生を歩んでいて、それぞれ思いを抱いているんだよなあ、と。
毎回この当たり前のようで、不思議な感覚に襲われると、“他人”を考え、“他人を感じる。本当に自分以外の人がこの世界にはいるんですよね。このことを本当に気が付いて考えて理解している人はどれくらいいるのだろう。それほど多くないように思います。
「親切」に関することでも書いたりしたのだけれど、本当は相手、つまりは“他人”の判断なのだけれど、多くのことは自分の判断でなされています。その方が多いです。でも、ある意味でそれはしょうがないことなのかもしれません。だって、自分は“他人”じゃないんだもの。どうしたって自分以外の尺度にきっちり合わせることは、相当に苦労するし骨の折れる作業なんです。ひょっとしたら無理なことなのかも分からない。
でも、周りには“他人”が確かにいるんだ、という意識を持っていることはすごく重要です。“他人”の存在を認めると、“自分”の存在もおのずと見えてくるからです。闇が光を生む、とでもいうのかな。自分の観ている世界を確認して、「うんうん、外の世界が確かにあるな、“他人”が確かにいるな。」とちゃんと知っておく。寂しさもすこし薄れます。へんてこな結びで終わります。哲学を一つまみ、でした。
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