すこしでも「社会」というものに出てみると、実力以外のものの存在にいやでも気づかされます。それも含めて実力なわけですが、なにかと必要なものがあるんですよね。
今、“必要”と書いたけれど、どちらかというと“引出し”だとか“武器”だとかのほうが近いかもしれない。いや、戦うわけではないからなあ。“ご飯のおとも”が一番いいかもな。
例えば大好きな人を笑顔にしたいとき(言うなればこの場合はご飯を食べる人です)、ご飯である私は考えます。どうしたら笑顔になってくれるかな、と。お味噌汁と漬物だけがいいのかな、それともエビフライやハンバーグ、卵焼きにポテトサラダ、デザートまでつけた方がいいかな、ビビンパのように色んな具材が混ぜあわさった方が好きかもしれない。おじやもありだなあ。
一方は、ん~おれはおともが味噌汁と納豆しかいないから、誠意をつくしてそれでどうにか満足してもらおう。
この違いは大きいです。前者にはいろんな“おとも”がいます。その分、大好きな人を笑顔にするための選択肢は無数にあります。笑顔にできる可能性がその分増すんです。後者お方はその逆で、2人しか“おとも”がいません。選択肢が狭いですから、その分笑顔にできる可能性は減ります。
やっぱり可能性は高い方がいいですよね。その分自分がかかわれる領域が増すのですから、出来ることも当然増します。だから、そのためには“おとも”が多い方がいいのです。“おとも”が多い人は、その分満足した顔での”ごちそうさまでした“を聞くことができるのです。
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