知識とは、川のようである。はじめは姿も見えぬようなしずくや湧き水が、心細い一筋の流れになり、他の幾筋かの流れと合わさりながら勢いと幅を持つようになる。その川もまた流れを穏やかにしながら、ほかの川を取り込み取り込まれ、さも落ち着いた様子の大きな河となり、やがて雄大なる大洋へと注がれる。
と、まあこういうふうなことをわたしが書くと、随分クサい。これを兼好法師が書いたとしたらどうでしょうか。彼がどんな風景を見ていたのか、当時の川の様子を想像したりするかもしれません。シェイクスピアが書いたらどうでしょうか。イギリスの川はどんな景色なのか、この原文にはどんな意味が込められているのか、考えたりするのかもしれません。
何を言ったのか、というのはさして大切ではないかもしれません。人は言ったその人を見て、その言葉を受け取っているんじゃないでしょうか。つまり、「何を言ったのか」ではなく「誰が言ったか」なんです。
もっというと、その人が「何をやったか」です。
ここまで書いて、和歌集の「よみ人知らず」の和歌がいいのはどうしてだろうと考えました。詩や句は、人はそれほど関係ないのかもしれません。雑誌やポスターのコピーも、言葉が先に来ます。これを作った人はきっとこんな人だろうなぁ、というのはあるかもしれませんが。
格言じみたこととか金言みたいなものこそ、人が前にくるんでしょう。普段の会話もどちらかといえば、人が前に来るものだとおもいます。
それらしいことは誰でも言えるから、ってことでもあるよね。
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